Conversation about the kingdom of fire

Ideas NOT worth spreading、お前の悪口、そしてお前の肉親の悪口

書架、放浪、高まる意識

 遍歴:法学部から転学し文学部言語学科へ、そして哲学科の研究生を経て教育学部精神分析のゼミを受講した後半年で司書資格を取っている。学位としては言語学者ということになっている。勿論、経済学部だけはタッチしていない。私はどちらかと言えば概念を食べて行ける方なのでそこら辺の現実の話は下男にさせておけばよい、と端から視野に入れていなかった。

 

 司書資格を取るにあたり勉強したことだが、"図書館は成長する有機体である"というキーワードがある。私は"図書館"を"書架"と読み替えている。こうなる。"書架は成長する有機体である"。書店に目当ての本を探しに行き、別の本が強烈に気になりそれを購入してしまい、まさにそこに自分の問題に関することが書かれていた経験が、諸賢にはおありだろうか。本読みはこのような現象を"本に呼ばれる"と呼ぶらしい。

 

 "本に呼ばれる"という現象を経験したことがある人には分かっていただけるように思うけれど、本はまた別の本を呼ぶ。どういうわけか、全く別のものだと思われていたある本とある本は実は同じことが書かれていたりする。『猫の地球儀』と『バイバイ・エンジェル』と『みだれ髪』はだいたい同じものであるように思われる(パッと思いつかないので例が雑だけど)。ともあれ、"ジャンルも何もかも違うけど、この本とこの本は友達、ということがある。そのようにして書架は育つ。まさに"成長する有機体"ということだ。

 

 畏友が森見登美彦をしてニーチェと比較し、"非モテの徹底が足りない! 微温的だ!"と痛罵していた。浅間山荘事件の再来だ。

 

 経済学部を蔑ろにしていた付けが廻って来た。現在、事業計画書の書き方の本、事業立ち上げの本、マーケティングの本、交渉術の本、開発手法の本2種を同時並行して読む羽目に陥っており、私の美しい書架にノイズが入るような気がして屈辱を味わっている。ついでに戦争についての本まで読まねばならなくなった。近代の戦略理論の始祖ジョミニあたりからジリジリ行っている。

 

 何故同時並行で読んでいるかというと、経営もマーケティングもマネジメントも戦争も、結局は同じ言葉だという直観あるからだ。ああ、呪わしい。これが終わった暁には『猫ノ眼時計』、『夜のみだらな鳥』あたりの極上と思われる幻想文学が待っていると思って、汚泥を這いずるようにお勉強するのだ。