Conversation about the kingdom of fire

Ideas NOT worth spreading、お前の悪口、そしてお前の肉親の悪口

男、女、或いは熱

 『Dark Knight』は『Heat』を参照して作られたらしい。私はどちらの作品も大好きだが、こと後者に関してはうんざりするぐらい観ているつもりだった。昨今『Heat』のDVD安売りがされているらしく、BDが出る予兆かも知れないという噂もあるが、我慢出来なかったのでDVDを買い、改めて観て、ちょっと気付いたことがあったので記する。

 

 『風立ちぬ』に関しては毀誉褒貶甚だしく、ちょっとでも話題にしようものならそれこそ宗教戦争に発展しそうな勢いだった。私はこの作品がたまらなく好き極右派だ。少しでも貶されただけで硬いものを食べられない身体にしてやろうか、くらいの気持ちになる。その拷問中は勿論大音量でENYAをかける。『レザボアドッグ』のマイケル・マドセン程私は優しくない。

 

 さてもさて。『Dark Knight』より『風立ちぬ』の方が『Heat』に似ているのではないかと思った。登場人物は静かにどこか狂っており、故に / 然るに、男と女はそうとしか生きられない。その業が、まるで音のない暴走列車のように物語を駆り立てるあたりがとても似ている。『風立ちぬ』について畏友が「あれはムスカが勝つ話」と総括していたのだけど、そこをもう少し噛み砕きたい。

 

 『風立ちぬ』は狂人の物語だ。主人公は夢に取り憑かれており、ヒロインは惚れた男のために死を選ぶ。男にとって都合が良過ぎるという批判もあるようだが、とんでもない。仕事の邪魔はするわ、配偶者なのに自殺めいたことをするわ、挙句の果てに看取れないわ、本当に困った人であると私は思う。それを承諾する主人公もネジが外れている。来るべき未来を見据えながら「僕たちは今、一日一日を大切に生きている」とのたまう。要するに自殺幇助だ。

 

 "生命"という言葉がある。一般にこの言葉は"なんか生きてること?"ぐらいの認識であるようだが、全く違う。むしろ"左右"のような言葉に近い。"生"と"命"は互いに相矛盾する。"生"は可能な限り長く多く生存し、安らごうという原理だ。"命"は疾走し、燃え上がり、賭け、砕け散ろうとする原理だ。それぞれ前者は日曜日、後者は土曜日に近い。

 

 『Heat』の男女も『風立ちぬ』の男女も"命"で焦げ付いてゆく。ランプに翅を打ち付けて止まない蛾のように、疲れから黒塗りの高級車に追突するかのように。生存を顧みない。そうとしか生きることが出来ない。その在り様は端的に狂気であるように私には思える。然るに、『風立ちぬ』は言うのだ、「生きねば」と。その先にどのような惨苦や虚無が待っていようとも、焔に向かって翅を激しく羽ばたかせることが生きるということだ、と。

 

 非倫理的なほど高い要求だ。でも誰かが言わねばならないことだ。それを言ったのが宮崎駿監督だったことが私は嬉しい。

 

 追記:「食べ物が美味しそうじゃなかった。宮崎駿監督、老いたり」という指摘があり、レイザーシャープだと思ったが、私は違う認識だ。"命"に偏るあまり、"生"に興味がないのだ。だから美味しそうに、喜ばしく食事するはずがない。あの作品に出て来る食べ物は全部脳の餌でしかない。故に、美味しくなく描かれているのだと思う。徹夜漬けのシステムエンジニアがチョコレートで脳をキックスタートさせるようなものだよ。そしてそんな状態で吐いたときの吐瀉物はこの世のものと思えないぐらい苦い。